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各論 臨床推論 シリーズ:修士の臨床記録 #3

【修士の臨床記録 Vol.3】鼠径部痛に「腸腰筋リリース」を連発していた私の罪。〜そのマッサージが関節を壊す〜

2026/1/28

この記事で分かること

読了時間:約 4 分

  • 鼠径部の「硬さ」は短縮ではなく防御性収縮かもしれない
  • 大腿骨前方滑り症候群のメカニズムと、なぜ前面マッサージが禁忌か
  • 治療の軸は「緩める」ではなく「整える」──後方組織の賦活と運動制御

はじめに:その「リリース」、逆効果です

股関節の前面(鼠径部)に「詰まり感」や「痛み」を訴える患者さん。若手時代の私は、何も考えずにこうしていました。

  • トーマステストをする
  • 「あ、股関節屈曲拘縮がありますね。腸腰筋と大腿直筋がパンパンです」と言う
  • ひたすら鼠径部をマッサージし、ハードなストレッチをかける

もし今、あなたが同じことをしているなら、すぐに手を止めてください。その治療は、火事の現場にガソリンを注ぐ行為かもしれません。

今日は、私が大学院で「運動機能障害症候群(MSI)」を学ぶまで気づかなかった、股関節痛の恐ろしい真実――「前方滑り症候群」についてお話しします。

【懺悔】私は「被害者」をいじめていた

10年前の実習記録を見返すと、股関節痛の患者さんに対し、「前側が硬いから緩める」という記録が大量に残っています。

しかし、患者さんの反応はイマイチ。「やった直後は軽くなるけど、歩くとまた痛い」の繰り返し。

なぜか? 私は「なぜ前側の筋肉が硬くならざるを得なかったのか?」という理由を無視していたからです。

当時、指導官から言われた言葉がこれです。

「君は、崖から落ちそうな人を必死で支えている手を、無理やり引き剥がそうとしているのと同じだよ」

痛みの正体:大腿骨前方滑り症候群(Anterior Femoral Glide Syndrome)

大学院で Shirley Sahrmann 先生の理論(MSI)を学び、ようやく意味が分かりました。多くの股関節痛の正体は、骨の変形ではなく「運動の軌道エラー」です。

1. 正常な股関節

足を動かす時、大腿骨頭(ボール)はその場で綺麗に回転します。これを可能にしているのが、後ろ側にある「後方組織(大殿筋・深層外旋六筋・後方関節包)」です。

これらがアンカー(錨)のようにボールを後ろに引きつけ、前への飛び出しを防いでいます。

2. 前方滑り症候群(エラー状態)

デスクワークや不良姿勢で「後方組織(アンカー)」がサボるとどうなるか?ブレーキを失ったボールは、運動のたびに「前方」へズルッと滑り出します。

その結果、股関節の前側にある組織(関節包、靭帯、腸腰筋腱)が、骨のボールに内側からグイグイと押し潰されます。これが「鼠径部の痛み」の正体です。

なぜ「マッサージ」が禁忌なのか?

ここで最初の話に戻ります。この状態で、痛い場所(前側)にある腸腰筋や大腿直筋が「硬い」のはなぜでしょうか?

それは、**前に飛び出そうとする骨頭を、筋肉が必死に収縮して止めてくれているから(防御性収縮)**です。

それなのに、当時の私は:

  • 「硬いですね〜」と言って、その防御壁をマッサージで破壊し
  • 「伸ばしましょう」と言って、ストレッチで前方関節包をさらに緩くしていました

結果、股関節はさらにグラグラになり、前への滑りが増悪し、痛みは慢性化する。まさに医原性の増悪です。

「緩める」のではなく「整える」

プロフェッショナルが見るべきは、「痛い場所(Input)」ではなく「サボっている場所(Motor Control)」です。前方滑り症候群の患者さんに必要なのは、以下の3ステップです。

  1. 前方への侵害刺激(ストレッチ・マッサージ)を直ちに中止する
  2. サボっている「後方組織(大殿筋・深層外旋六筋)」を賦活する
  3. 骨頭を求心位(後ろ)に引き込みながら動かす運動制御を再学習させる

「筋肉が硬い」という現象を見た時、それが「短縮(Shortness)」なのか、「防御(Spasm)」なのか。この見極めができなければ、あなたの手技は凶器になり得ます。

結論:木(患部)を見るな、森(運動)を見ろ

「画像所見なし」「原因不明の鼠径部痛」。その多くに、この前方滑りが隠れています。

教科書通りのストレッチで治らない時、一度立ち止まって考えてみてください。

「ボールは正しい位置で回っているか?」

その視点を持てた瞬間、あなたの臨床は「マッサージ屋」から「治療家」へと進化します。

📚 参考文献

  • Sahrmann SA. (2005). “運動機能障害症候群のマネジメント”. 医歯薬出版. 本記事の核となる MSI のバイブル。大腿骨前方滑り症候群のメカニズムや、後方組織の重要性、評価と治療のエクササイズが詳細に記載。
  • Sahrmann SA. (2013). “続 運動機能障害症候群のマネジメント”. 医歯薬出版. 前著の続編。より部位別の詳細な評価。股関節周辺の運動連鎖や、歩行時の股関節と骨盤の微細なエラーを見抜く目を養える。
  • Jones MA, Rivett DA. (2004). “Clinical Reasoning for Manual Therapists”. Butterworth Heinemann. 「なぜその筋肉が硬くならざるを得なかったのか?」を論理的に考えるクリニカルリーズニングの基礎。疼痛のメカニズムと生体力学的なエラーを統合して考える力を鍛える。